無頼・面白がりと高見の見物

 先日おもろい婆さんにあった。

 子沢山の家支えるため、中学出てすぐ百姓の手伝い。その後ダンプの免許取り、土建屋やって、今また百姓。

 農協の大量出荷システムにゃ合わねえもん作り、売り先も苦労して自分で。面白がってやる者の常。「儲かりゃしねえさ。年金で食ってるだけ」。そう言いながら女手じゃ到底無理な広さ借り、せっせと米野菜作り。「面白くて面白くて」。死ぬまでそんなもんだべ。

 戦後(1945年〜55年頃)始めた者達にゃ、この手の人物は案外いた。男も女も。

 丁稚仕事で東京に出、「あんたの会社の機械のメカ、勝手に作っちまうけどいいか」。アメリカの会社に内容証明送り付け、返事無かったからと墨田かどっかで機械屋始めた田舎親父。疎開で田舎に舞い戻り、戦後はせせら笑う許認可役人どなりつけ、用地手に入れて町工場作り。いっ時は景気いい会社だった。本人、もうだいぶ前に死んだけど。

 山里で一家食い詰めて温泉町に働きに。戦後はすぐに男と駆け落ち。名古屋九州と転々のあげく、郷里に戻りストリップ小屋経営して、旦那の会社も後押し。この婆さんさんも、無頼・面白がり人生だった。何度もパクられた反骨ストリッパー思い出し、「いい女だったねぇ…」。まだ生きてるべか。

 どこまで自覚してるんか知らねえが、今の政権のやってる中にゃ、この手の無頼(自立)の要素はある。知らしむべからず寄らしむべし、許認可、ピラミッドの取っ払い。

 マスゴミ=サラリーマンマスコミの大半が、客観装う高見の見物に終始する根っこにゃ、まるで正反対のもんがあるのからと思ってる。無頼・面白がり人生と。

 何年前だったか。ある時、この手の人種の一人に言った。「今の時代は、何もしねえ奴が得する時代だわな」。きょとんとするだけだったので、補足は止めた。恨まれるからね。偏差値ピラミッドの体制内、唯々諾々が存在根拠にゃ。

 無頼・面白がりとど汚ねえは違うさ。違い分からねえ奴、分かっててど汚ねえ奴は毎度やる。「センセイ、○○ちゃん××しちゃいました」。権威戴く組織人、意識無意識の利権持つ宦官の性根。

 時間切れ。毎度ルフラン・常套句。共鳴共感、義理人情、人の並立、人民民主の共和制万歳。一人ひとりに根ざしたインターナショナリズム万歳。