昔話

 「あいつらチョーセンだぜ」。この手のこと平気で言う大阪の底辺、差別野郎達をなぜ割と好きだったんか? 汗流す奴は認める。こういう気風はあったからだ。

 カメラマンっていう、サラリーマン世界じゃ2格3格下の仕事やった俺は、陰に陽に嫌な目に出くわした。東京なら陰に陰に陰湿にとなるとこだけど、陽の部分―あっけらかんの差別―があるとこが大阪らしいと言えば言えた。

 出世すてて番組作り。ある時、キョー大出のこの手の「良心」親父が家貸したいと言ってるの聞きつけ、貸してくださいと申し出た。だが何んだかんだ理由くっつけて断って来た。ああ俺がカメラ屋だからだなと直感した。

 ある時、もう潰れた(のかな)自転車屋のせがれ記者が、当時はめずらしかった組み立て式自転車、社内で譲ると言った。俺が頼むともう品切れという返事が返ってきた。そんなわきゃ無かった。すぐに頼んだんだからね。ばら撒き先としちゃ価値無かったってお話。

 科挙学歴、立場利権、平然と割り切って寝そべるのは、大阪のサラリーマン共の方がずっと上手だったと思ってる。東京なんかよりゃ。下請け泣かせのデパート・鉄道屋なんざ、不動産屋まで客にふんぞり返ってたしね。元田舎もんの東京もんはそこまでは出来ねえ。その分陰湿になるけど。上げ底、後ろめたさちょろまかすために。

 汗流す奴は認める。これは下請け、孫請け、アルバイト、下層世界の者達の間のお話。こいつらは案外よかった。最初はしんどかったけど。センセイに言いつけちゃう。この手のことしねえで突破する奴と思ったんだろ。おいらを。東京方面でも、映画屋世界にゃあった気質だろと感じたことはある。

 東京や東京圏のサラリーマン階層社会の下層民にゃ、この手の気質はねえ。それは糞の田舎に舞い戻り、最下層民になってよく分かった。あちらから流れ込んで来る下層民共と散々関わって。下の奴らは付き合い易い。そんなお話じゃねえってのも再確認した。お陰様で。

 今の大阪にゃねえんじゃねえかな。この手の気質。働かんもんね、自分からは。ニッポン中


 共鳴共感、義理人情、人の並立、人民民主の共和制万歳。一人ひとりに根ざしたインターナショナリズム万歳。