仰がねえこと、重ねねえこと、感情移入なんかしねえこと ―共和制の魂 その九―

 仰がねえこと、重ねねえこと、感情移入なんかしねえこと。

 こいつはほんと大事と思ってる。人生振り返って。

 ひよこは最初見たもん親と思って、ちょこちょこ信じてくっ付いてくっていうけど、そんな捨て子のひよこ餓鬼の頃飼ったことあるけど、飢鬼の一時期は仕方ねえだろなと思う。親を人を信じちゃうのは。時に仰いだり重ねたりしちゃうのは。

 人間、なまじこましゃくれて批判の眼から入ると、ろくなこたぁねえ。何んにも吸い込めねえアタマだけの餓鬼になる。批判の眼? 親が糞インテリのたぐいで、口先・頭でニンゲン教え込まれた餓鬼の性癖さ。修身、日の丸、君が代のたぐいのだだの裏返し。心の自然装って飼育する分、一枚上手だったけどね。明治のお国の方が。どこの宗教もやるありふれた手口。

 仰がねえこと、重ねねえこと、感情移入なんかしねえこと。人間スムーズにこいつに行き着かせるにゃ、無方向で、バイアスかけねえで人育てることだ。

 戦後教育の思想ってのは、ちっとも間違っちゃいなかったと俺は思ってる。家庭もガッコウも教える方が不完全、バイアスかかり過ぎだっただけ。明治の封建引きずった爺いや親父、腐れ政治家のたぐいは言うに及ばず、戦後なるもんアタマで信じた民主のあんちゃん父ちゃん母ちゃん共も、同じ穴のムジナ。仰がねえこと、重ねねえこと、感情移入なんかしねえこと。こいつ、まるで出来ねえって点で。天皇だろうがレーニンだろうがルーズベルトケネディオバマだろうが、カストロだろうがゲバラだろうがキリストだろうがルソーだろうがマルクスだろうが、そんなもん持って来ちゃ駄目ってこと。卑近に話引き戻しゃ、抵抗・良心売りにした戦後ミンシュの知識人、左翼、市民、労働運動、これネタにしこたま稼いだ出版社・新聞・マスコミのたぐい信用しちゃだめだったってお話。自分信じなきゃね。何よりもまず。戦後教育の思想なるもん信じるなら。自分の中から湧き出すもん信じなきゃ。いっ時だまくらされても、いまだそういうもん引きずってても、真っ当に生きた者、汗流した者が信じるに足るってのはこのこと。自分信じてるからね、そういう奴は。そういう奴は信じるさ。俺も。共鳴って奴だ。共感って奴だ。上っ面敵でも。お互い軸は自分。重ねたりなんかしねえさ。そんなことしなくたって生まれるさ。立派な人の絆は。敵同士でもね。

 仰がねえこと、重ねねえこと、感情移入なんかしねえこと。こういう餓鬼育てたきゃ、ひたすら大事にすることさ。子を親が。愛するってこと。素直に。ヘンな手引き書持ち出さねえで。あとは必死こいて働くこと。自分信じて。体のいい理由くっ付けねえで。背中だけ見せて。男も女も。インテリ男、インテリ婆あなんかにゃ間違っても成り下がらねえで。体で教えるってこと。大昔からやってたことだ。野良の婆ちゃんが。爺ちゃんが。おフランスアメリカにソ連に、福沢諭吉のたぐいの啓蒙になんか教え請わなくても。「おう! おらもそう思う」。こいつは、普段心ん中で思ってて、言葉なんかにゃしなかっただけの人民の叫びだ。分かってるんさ、人は。教え込まれなくたって。真っ当に生きてりゃ。汗かいてりゃ。こいつは俺の実体験さ。右往左往地べた這いの人生の。曽野綾子の訳知り婆あ(女小林秀雄だね)は「ニッポン人にゃ愛が、アガペーがない」とか説教して回ったけど、馬鹿こくじゃねえ。教え込みゃ根付くんかい? 元々ありもしねえもんが。ダイコン一本育てたことねえべ。ばあさん。

 共鳴共感、義理人情、人の並立、人民民主の共和制万歳。一人ひとりに根ざしたインターナショナリズム万歳。