二次加工、二次製品の世界でなんか馴れ合うな

 二次加工、二次製品の世界でなんか遊んじゃいけねえよ。

 こいつは長年人間やってて、痛切に感じることだ。

 俺のアタマは永年の政治用語、文学用語、学術用語、はたまたオタク用語等々の業界用語で成り立ってんじゃねえかな。てめえ、こう振り返って見るのは大事だ。

 なぜ大事かって? この手の意識は必ずや、生身の感性肉体とかけ離れた強烈な差別、偏見、序列=虚構の娑婆と手ぇ結んでるからだ。閉じた系、狭いせまい秩序世界支えるための。生身の感性と意識、嫌でも封印しちまうからね。真っ当な人様の生活生き方封印しちまうからね。

 ああこの業界じゃ、この手はこう言う言い方するんだな、こういう仕切り方なんだな。自前の感性経験に身を置く奴は、その手の世界に触れた時にゃ必ずこう思う。だが大概口にゃ出さねえだろう。強烈な差別、偏見、こき下ろしに出くわすか、ねちねち陰湿ないじめに出会うか、我田引水、話を勝手にあさっての方向に持ってかれるかのいずれかに決まってるからだ。

 秩序序列の土俵ん中じゃ、どう相撲取ったって勝てるわきゃねえさ。毛唐相手に片言英語で喧嘩するのと一緒。自分の言葉で怒らなきゃ勝てっこねえ。アタマに来ねえ平常時はなお更。てめえの人生、てめえの世界、売り渡すだけ。自分持たねえオタク共に。狭いせまい内向き世界護るため、はりぼて似非の神権威と手ぇ結んだ寄生虫共に。

 踏み絵なんざ、いくら踏んづけたって構わねえさ。だが信心は踏んづけちゃいけねえ。虚構じゃねえ、自分信じる信心。こいつで腹くくって生きてりゃ、必ずや自前のもんに行き着くさ。屋上屋を重ねるたぐいの二次製品、三次製品じゃねえところの。まずは実生活において。生身のヒト生産する家族家庭のたぐいにおいて。きっと報われるさ。どんなにしんどいいばらの道でも。この世に生まれ落ちた一個の真実=主体として自分において。


(追伸)

 名も無く貧しくのたぐい、片隅の真実言ってるんじゃねえぜ。娑婆の敗北勝利以前のもん。実人生の基礎中の基礎、ヒトの更新=世代更新の話だからね。先ずは。
 自分に立ち返るってこと。いついかなる時も。どんなに高度に、幸せに見えても、お他人さんの言葉と世界じゃ駄目ってことさ。