死んでも忘れねえぜ  ―土曜の昼のひとり言―

 今日の沢田聖子

 http://www.youtube.com/watch?v=WclRs5wq8oI

 1991年6月ってば、組織マスコミ・田舎テレビの孫請けフリーター放り出された時。環境データちょろまかしの田舎行政の脅しにびびった、東京もんの天下り野郎の仕業。

 不正誤魔化す田舎行政なんかより、平生田舎見下して聞いた風なことぬかし、肝心な時ゃびびって豹変の口先野郎の方に頭に来た。こんなもんだべと分かっちゃいても。

 加担し脅し電話かけてきた、天下りまで親の真似っこ、東京仕込みの下請けコバンザメ野郎。ついでにおめえも死んでも忘れねえぜ。低脳田舎マスコミの肩書きちら付かせ、肝心かなめん時きゃするりと逃げた長兄なる男始め、窮地遠巻きで見物のクズ達も。

 ろくでもなかったこの時代、素直に作ったってのはいいことさ。歌の話だが。

 時代や社会、ぱ〜でんねんに迎合しなくたって、汗流してりゃ最低限食ってける。それでいいのだ。俺も嫁さんも子供達も、こうして今も生きてる。ぴょこんと孫達も生まれて。

 共鳴共感、義理人情は必ずあるさ。世の中変わろうが変わるめえが。あっちでぶつかり、こっちでずっこけたって。


 毎度お馴染み常套句。共鳴共感、義理人情、人の並立、人民民主の共和制万歳。一人ひとりに根ざしたインターナショナリズム万歳。