家庭と大御心の「家」

 俺がいまだろくに出来てねえこと、承知で言う。

 人間の基本は家庭だ。家庭は一つには、男(父親)がすべて腹に収めることで成り立つ。黙って聴いて腹に収めるってこと。嫁さんのどんな無理難題も、子供達のどんな無理難題も。

 絶対に怒らねえってこと。

 俺は時として、烈火のごとく爆発しちまう。これは俺の未熟に過ぎねえ。怒ったら終わり。嫁さんが、娘息子が何言おうが。

 何度終わったことか。終わっても何とか続いたのは、嫁さんの忍耐力のお陰。

 俺が怒りを爆発させる限り、わが家にゃ人の並立なんざ存在しねえ。

 「あたしに経済力がありゃ、あんたなんか…」

 そう。それは嫁さんの弱み。人の弱みちっとでも突くとすりゃ、俺はただのクズ男。金玉無男。

 娑婆じゃ人は、人の弱み突く。突くことで人を支配する。社会の構造、ヒエラルキーはそれで成り立つ。

 だが家庭じゃ、弱み突いたらお終い。ジ・エンド。

 並立。こいつじゃねえと、絶対成り立たねえからだ。

 人を変えたきゃ背中見せる。できるのはこれだけ。行動で示すってこと。自分の胸に手ぇ当てて。

 嫁さんにも子に対しても、できるのはこれだけ。秩序じゃ絶対駄目ってこと。秩序、支配は人を潰す。トータルな関わりの場じゃ。

 家庭に秩序がなけりゃ、飼い犬さえ主を舐めるたぁよく言われること。

 俺に言えるのはひと言。そんな馬鹿犬たたき出せ。目ん玉きょろきょろ、人の顔色窺うやから。こんな奴は犬だろうがヒトだろうが、家庭にゃ無用。

 これはほんとは家庭だけじゃねえってのは、分かるべ。

 どんなに夢想に見えても、リアルな意思は必要だ。トータルな関わり、人の並立への。

 人を人として認めるってのは、ここに行き着く。

 でなけりゃ「父権」の家に舞い戻りゃいいさ。秩序が前提、差別が前提、民草は大御心の赤子、あやつり人形、断片の。よっぽど楽さ。自分の胸に手ぇ当てなくていいからね。無責任の体系。精神肉体の人殺しも、お気楽に遂行。


 毎度お馴染み常套句。共鳴共感、義理人情、人の並立、人民民主の共和制万歳。一人ひとりに根ざしたインターナショナリズム万歳。