勝手な批評 Ⅱ

 山崎ハコに『♪夕陽のふるさと』って歌がある。

 この手の曲は、どうにも俺は好きにゃなれねえ。こけおどかしって感じがする。重たさって奴にゃ、もったいetc.の臭いがする。

 それでも時折聴くのは、若さの一途がそこにゃあるからだろう(と俺が勝手に思うからだろう)。

 虚妄、幻想、観念への思い入れ。

 集団意識でパッと飛び付き、パッと去ってった者達はわんさといた。昔話なんかする奴は、全部この手合い。

 この手の虚妄や幻想を、個人で追っかけた奴は難儀だ。自分で落とし前つけるしかねえからだ。自分の気持ちと経験に。

 この手の奴は、嫌でもどっかで手ぇ切るしかなくなる。時代や時代の流行と。交換価値と。残るのは、嫌でも飯食って生きるしかねえ自分。自殺でもしねえ限り。

 飯食って生きるだけの自分。そこにも交換価値は当然付いて回る。ついて回るが、ケツは追っかけなくなる。

 色んなもんが、そん中で見えて来ることはある。生きるという価値(ってよりも普通に人が背負い込むしかねえ本来性)と、他人の顔色の別名の交換価値との混濁の中で。

 この手の奴は、嫌でも社会の底辺に沈む。沈んだまんま、今でも幻想振り切れず悶々。そいつは俺の同志だ。目ぇつぶるさ。どんなに虚妄を口にしてても。あんたの方は、俺を許さねえかも知れねえが。

 どう生きるか、何んに根ざして生きるかの共鳴。多数決のお仲間にゃならねえだろけど。

 流行歌手になれなかったのか、ならなかったのか。ハコにもその辺があったからじゃねえかな。