小沢一郎と自前の沈黙
小沢一郎のような男とは、その時その時で関わるのがいいんだべ。
社会正義の一般論で批判するのもアホだが、べったりと期待したり感情移入する輩もアホだ。
沈黙にゃ、自前の沈黙で関わらなきゃね。
以前、吉本隆明が小沢を持ち上げたというが、まるで見当はずれとは思わねえが、麻原彰晃持ち上げたのと同んなじもんがあるような気がする。沈黙に引きずられるってこと。吉本は案外。
神社の森の暗がりにちょろまかされるってのと、似たようなもんじゃねえかな。言っちゃ悪いが。意味有りげに思うのは、自前の沈黙の薄さ。薄さで悪けりゃ軽さ。もっと悪いか。
意地張って対抗なんかしちゃいけねえ。そんなことすりゃ、自負だけ抱えて中身空っぽのサラリーマンマスコミのたぐいと同んなじ。素直に、ああ俺は軽いなでいい。そう感じた時ゃ。
巻き込まれちゃ駄目さ。わが身の実在の薄さ(生身の娑婆での実践の不足や観念性)を反省するぐらいでいいのだ。
掘らなきゃならねえのは、どんな時も自分の穴。自前の沈黙ってこと。自分なりの実践によるところのね。
連帯も闘争心も、そっから掘り出さなきゃ。でなけりゃ、毎度うまいことやられるだけさ。相手に悪意があろうがなかろうが。
共鳴共感、義理人情、人の並立、人民民主の共和制万歳。一人ひとりに根を置くインターナショナリズム万歳。