沈黙と人の共和

 人に大事なのは沈黙。宇宙の深淵だ。

 こいつが人の実在の根拠だ。

 未知なるものを含めて自分。当たり前だ。科学なるものが存在する以前から生物は生物として、人は人として存在してきた。

 知者を気取る者達は、沈黙の海に浮かぶ小島だ。見えたものだけで判決を下し、正しさを強弁する者達だ。

 この種の者達ほど権威を、集権を、お墨付きを欲しがる。なんだかんだ言ってもこれが自分。人が何んと言おうが。こうした、沈黙から立ち昇るわが身の実存に根ざしていねえからだ。

 沈黙は愚者の保身では無え。

 「平生、詐略はいたさぬものぞ」「頭で動いちゃいけねえ」。愚者にゃこの種の生き方も智恵も無え。沈黙は右顧左べん、目先の損得や勝ち負けに陥ることなく、魂の深淵(造物主)に錘(おもり)を垂らす唯一の方法だからだ。これは閉鎖の禅寺じゃねえ、開かれた娑婆でやることに意味があるのだ。

 反知性主義? 沈黙と知の関係を肌身で知らねえ教養人生(カボチャ一個、ネジ一本作ったこと無え者達)のたわ言さ。



 共鳴共感、義理人情、人の並立、人民民主の共和制万歳。一人ひとりに根を置くインターナショナリズム万歳。


 ついでに言や、このスローガンは甘い夢じゃ無え。人生、痛てえ目にあっても実在に根を置く。そうしねえと自滅が待ってるだけ。それ言ってるだけさ。