虚構と無

 「…ホーキング博士らは、宇宙は「無」から自発的に生まれると考えてきた。新刊では、量子力学に重力理論を組み合わせた研究成果から、「出来すぎ」に見えるものは「創造主なしで説明は可能」で、宇宙誕生の大爆発ビッグバンも「神に点火してもらう必要はない」とした。」(asahi com.)


 思い込みや御都合主義を排して物事を感じ、組み立てるのが大事ってのは、どこの世界も一緒。

 俺は宗教ってのは即駄目とは思わねえ。三十年ぐらい前までは仏教書なんか結構読んだ。聖書のたぐいも読んだ。自分に行き着く手がかりで。知なるもんの価値は、突き詰めればここにしかねえと俺は思ってる。

 指示命令のたぐいを求めなけりゃ、役に立つ。ちゃんと内省した者が書いたもんは。

 そうすりゃすぐに気が付く。指示命令したがる奴は嘘っぱちと。

 この手の書は死んでも言わねえ。「だから俺の言うことを聞け」なんて。

 こんなこと言い出す奴は全部嘘っぱち。イスラムでもアーメンでも南無妙法蓮華経でも。ついでに言や、靖国なんて典型。嘘っぱちの。A級戦犯云々以前の成り立ちの問題。

 この国の形だの生き方だの言うんなら、百数十年来の官僚制の弊害だのなんだの言うんなら、直視することさ。騙くらかし、御都合主義、神社の森の箱庭の自然装う虚構を、統治や統治のおこぼれとるつむ組織人共(科挙学歴命のサラリーマンマスコミなんか典型)の存在根拠を。自分の人生に徹して根ざして。お軽い左翼や市民主義なんて持ち出さずに。


 共鳴共感、義理人情、人の並立、人民民主の共和制万歳。一人ひとりに根を置くインターナショナリズム万歳。