宦官の性根が支配する科挙の国

 この国は相も変わらず宦官の性根が支配。

 人見る時は減点法。権力のお座敷芸者の孔孟・朱子学由来、科挙学歴の性根が支配するからだ。

 頂点は無謬装う組織。組織が垂れ流す観念。お座敷芸者製、道徳の化けの皮被る統治の正義。生身の人をこいつが蹴落とす。重箱の隅突き出して。

 檻の外、娑婆に生きる生身の人。それ見てあざけるサル山のサル達。飼い馴らされた頭でっかち。市民、組織人共。散々見慣れた光景だ。わが身に降りかかる事柄を含めて。

 人は人、俺は俺。この手の世界じゃ、この当たり前のコンコンチキも存在しねえ。

 意識は、生命力は先細るだけ。汲めど尽きねえ人の関わり、並立自立が存在しねえからだ。

 それでもサルはへばり付く。サル山に。なので宦官、金玉梨男。

 独立自尊。その通りさ。言った当人はサル山のサル。言葉なんざ空しいだけ。

 実践イコール実存、実存イコール実践の人生の泉。これから汲み出すことだ。わが身のモラル、生き方。その連鎖の共鳴共感、義理人情。

 汗流すってこと。無心に。すけべ根性ドブに捨てて。