ひとり言

 2006年からブログを始め、2007年からこの場所で、ひとり言で書いてきた。

 以前のものを読むと、最初(特に2006〜7年頃)のものがまとまっている。言いたいことの本源も突いている。今のがそうじゃねえとは思わねえが。素直という感じはある。

 ブログは、なんだかんだ言ってもエネルギーが割かれる。それはそれということで飯食う仕事とは別にやって来たが、今の俺は収入にも時間にも置かれた状況にも余裕は無い。ずっとそうだったが。

 何やったって食ってくさ。この腹づもりだけで三十余年やってきた。

 ササしか食わねえパンダ。ユーカリしか食わねえコアラ。この手の保護愛玩動物にゃ死んでもならねえ。そうはっきり思ったのは、色々なめた脱サラ数年後。事実その通りの人生だった。あっちで衝突、こっちで首。作るにまつわる筋を通すために。毎度、そんな殊勝な意思で始めたわけじゃなかったが。最初はいつも飯のためだったが。

 色々反省はあるが、原理基本はここだったと振り返って思う。奇麗事でも何でもなく。これが俺の気質体質。散々の貧乏の源であり、辛うじて生きた源であり。

 飯食うことと、作るにまつわる思いの合一。こいつが死ぬほどしんどいのは、ちと真面目に物事に取り組んだ者ならすぐに分かるだろう。計算ずくじゃ無理。最後はいつもエイ、ヤッの体当たりしか無かった。よくまあ死なずに来たもんだ。嫁さん、子供たちのお陰はある。色々あったけど。

 やりゃ出来る。これは事実だ。めげなきゃ何とかなる。生きるということに関しては。死んじゃいけねえ。

 それでもしんどい時はある。食い扶持にまるでならねえものは、捨てざるを得ねえ。ブログなんてのは典型的にそう。暇人の手慰み以上のものじゃねえ。この自覚の上に関わるしかねえのだ。

 思いをどうにか表すこと。家族と共に生きること。この二つの最低限の両立のためには、賃仕事の範囲に留まらざるを得なくなることはある。実際すでにその状況だ。

 ブログがまるで無駄だったとは思わねえ。腹の底のものを吐くのは必要だ。読み手にゃ反吐にしか見えなくても。紛れも無くこれも俺の一部。

 さてどうする? 本能、直観、直感の中で決めるしかねえ。自分の人生どうするか。