豚との決別と人に根を置くインターナショナリズム

 中身の薄い有線テレビは止めた。

 新規のものへの加入はまだなので、仕方無しに地上波を時々見る。

 見て改めて感じるのは、中身のあまりの低レベル。

 金かけねえ安易なバラエティー番組はまだいい。

 ひでえのは報道や、報道まがいの客寄せ番組。

 ついさっきも竹島がどうので、ここぞとばかり国家への忠犬。

 普段はぱ〜で無責任な奴、ど汚ねえ奴。この手合いが使う国への忠誠、忠犬ポーズ。

 どうにもならねえクズ、チンピラが応援団になって校旗振る。この手と脳みそは一緒。電波でがなってねえで、街宣車にでも乗れ。

 苦労かけた嫁さんや子供たちには言えねえが、三十余年貧乏なめても、つくづく良かったと思うこと。この手の愚物共と同じ釜の飯食わずに済んだこと。

 気取って言う気はまるでねえが、本当のことだからはっきりと言う。俺は、この手の高給取りの豚の偽善が嫌で高給を捨てた。損得打算で言えばただの損。

 だが俺が今こうして生きてるのは、それが力だ。ど汚ねえ豚との、自分との決別。決別の意思の持続。

 新たな世界構築への情念。豚の世界じゃ絶対に生まれなかったろう。持続しなかったろう。わが人生に根ざしたものに、肉備えたものになんて、絶対にならなかったろう。

 それは人の並立、人の共和。貧乏暮らしの歩みの中でつかんだ、義理人情と共鳴共感。



 共鳴共感、義理人情、人の並立、人民民主の共和制万歳。一人ひとりに根を置くインターナショナリズム万歳。