後出しじゃんけんしか出来ないマスゴミ、インテリ
野立看板の広告を売ったり、売文したり。
自営業、飢える自由の自由業をやってると、いろんなことに出くわす。雇われ仕事でマスゴミ、インテリ達と同席することもある。
毎度感じるのは、こいつらは後出しじゃんけんしか出来ないということ。
食うや食わずの俺は嫌でも多忙。さっさと聞いて撮影して引き上げる。マスゴミ、インテリ達は積極的には何も聞かない。
次の日見ると、俺のやったことをアレンジして出してるケースが多々ある。後出しじゃんけんということ。
ずるいといえばずるい。馬鹿といえば馬鹿。この頃はっきり分かるのは、馬鹿だということ。だから腹も立たない。彼らは自分が無いのだ。
自分が無い者たちは、後出しじゃんけんしかできない。周りを見てしか自分を決められないからだ。プライドだけは百人前だから、陰険な手口は弄する。馬鹿げた話だ。
馬鹿げた話は、ド田舎のけちな世界だけでは無い。「中央」なる御立派な世界でも平気でまかり通る。より平然とまかり通る。上昇志向とゴミのプライドの粋を集めた場所だからだ。
原発事故以来、インテリ、マスゴミの駄目さ加減は衆目の知るところとなった。5年前からブログで散々言い続けて来たことは白日の下にさらされ、もう言う必要は無くなった。
今はその先の別の展開を書こうと思っている。それはひとつは虚妄と虚構を排した仕組み・共和制の話。もう一つは自分とは何かという個別・自分の話。これが対のものなのは、娑婆をちとまじめに渡った者なら誰でも分かるだろう。
後出しじゃんけんなんてケチなことする暇があったら、さっさと帰って仕事を上げて、自分の思考を巡らすということ。どう明日生きるべえかと。
個人としては毎度それでいい。一方やはり、ゴミの生き方・後出しじゃんけんがまかり通らない世界にしないといかんと思う。世の中、総体として悪くなるばかりだからだ。
共鳴共感、義理人情、自立と創造、人の並立(人はそれぞれ)の共和制万歳。一人ひとりに根を置くインターナショナリズム万歳。