フォーマットの上に自分を載せるな
どんなフォーマットの上にも自分を載せるな。
これは人生の鉄則だ。
フォーマットは、思想と言い換えてもいい。忠誠心と言い換えてもいい。思い込みと言ってもいい。観念と言ったっていい。
右だろうが左だろうが、ナショナリズムだろうがグローバリズムだろうが、愛社精神だろうが愛郷精神だろうが、ナルシズムだろうが愛他主義だろうが、フォーマット上でものを考えるのは愚の骨頂だ。
生み出す自分がいる。汗を流し、わが手で食ってる自分がいる。その生産物(余剰)を買う相手がいる。これが総てなのだ。生きるにおいては。
愛を唱えて近付いて来ようが、ニコニコして来ようが、仲間にならないかと理屈をぶら下げて寄って来ようが、どれも総て俺(あんた)の生産性を買ってのことなのだ。男と女の関係も例外ではない。
このことは、はっきりと見極めることだ。
人とのどんな関わりも、生産性の無いところに永続性は無い。イコール未来は無い。そこにあるのはいっ時の虚妄か詐欺か、搾取被搾取だけだ。
この単純な事実に即してわが身を振り返れば、上記の話が「ドライ」だの「冷たい」だのの話じゃ無いことはわかるだろう。
作ることだ。生み出すことだ。真っ当なものを。そのためには虚妄(フォーマット)と手を切ることだ。
そうすれば見えてくる。何を生み出したらいいのか。相手が真に何を買うのか。
そこに関係を成り立たせることだ。生む者同士の関係を。
もう一度言う。グローバリズムも反グローバリズムも愛郷精神も、ナルシズムも愛他主義もまるでナンセンス。
人の生身の関係とは無縁だからだ。
共鳴共感、義理人情、わが身に即した生産性、人の並立(人はそれぞれ)の共和制へ。一人ひとりに根を置くインターナショナリズムへ。