獣性の時代

 「田中氏(沖縄防衛局聡局長)は28日夜の記者団との酒席で、(米軍普天間飛行場沖縄県宜野湾市)移設に関する環境影響)評価書の提出に関し、一川氏が時期を明言していない理由を問われると「(女性を)犯す前にこれから犯しますよと言うか」と答えた。」(11.29、産経新聞

 皆様の国営放送などをちら見しても、一体何が問題なのか、はっきり言わないのでさっぱり分からなかったが、ネットの産経の記事でやっと分かった。

 昔の軍部のセンスは、概ねこんなもんだったと思ったことがある。都知事・石原のセンスも、大阪市長になった男のセンスもこんなもんだろう。

 石原が受ける理由も橋下が大受けした理由も、ベースはここにあった気がする。エロス、というより劣情。こういうのは受ける。大衆レベルで。

 石原は小説なんかも、これで売れた。ちんぽこで障子を突き破る小説は、ベストセラーになった。

 『潮騒』的エロスが売りだった当時の三島由紀夫は、石原に随分嫉妬していたと感じたことがある。文字からしか吸収できなかった伝統的知識階級(坊ちゃん)の三島じゃ、人間(劣情)への嗅覚を備えたチンピラ石原には太刀打ちできなかった。売れるという点で。

 三島は、「これから犯しますよ」と言わなきゃ何もできない坊ちゃんであり善人だった。石原あたりと比べればだが。

 この種のセンスや嗅覚は、ニッポン固有のもんじゃないのは、「大衆は女みたいなもんだ」と言ったナチスなんか見ればよく分かる。

 大衆受けの劣情。言葉はごもっとものインテリ、知識階級(教養主義)が毎度役立たずなのは、この種の要素を馬鹿にするので。上辺は避けて通ろうとするので。自分の中にも嫌でもある、この種の要素を。

 もう時間切れ。結論だけ言えば、この種の劣情・獣性は紛れもなく人間の一要素だ。だが一要素に過ぎない。

 こんなもんが大手を振って前面に躍り出る世の中は、ろくなもんじゃない。目先の銭金(物欲)ばかりを優先すれば家庭も事業も長続きしないのと同様、性欲・劣情でひっかけるやり方も、いずれ社会を破たんに追いやる。

 一要素(枝葉)は常に、人の暮らしというトータルを、トータルな存在としての人間を足蹴にするからだ。

 劣情に勝つには、劣情を超えるトータルなものが、当人の腹と生き方に無いと無理。言葉・口先でいくら批判しても。

 大阪市長選に例えれば、平松にはこれが無かった。

 この意味を反省するのが、大事なのだ。批判や迎合の前に。