時間を使う

 何んか書こうとしてたら、二歳になったばかりの孫が起きて膝に来た。アンパンマンの動画を見せたら、何書こうとしたのか忘れた。

 歳食っていいのは、そんなもんと思えること。余裕の無さは今も昔も変わらないが。

 子供の相手は大事だ。趣味も仕事も少々すっ飛んでも。若い頃はなかなかそうはいかず、可哀そうなことをした。特に上の子は。その子の子というのはある。膝に来たのは。

 『星の王子様』という昔読んだ大人の童話に、愛することはその人のために時間を使うことだという意味の箇所があったが、その通りだなと思う。人を育てるということを本気で考えるなら、損得や効率非効率に対する意識を変えないと無理。捨ててこそ浮かぶ瀬ありだ。目先の損得に凝り固まったこの世では。

 サラリーマンなら同僚達に馬鹿にされようが、出世の機会を逃そうが、下請け・子会社へ出向の憂き目を見ようが、賭ける価値は十二分にある。つかむものの方がずっと多いだろう。口開けて上ばかり見ていた日々と比べれば。

 当たり前だが、そういう生き方は報われないことの方がずっと多い。他人は言うに及ばず、嫁さんさえも金や地位の暮らしの方になびいていたのかも知れず、子供にしたところで成長すればダメ親父と馬鹿にするだけなのかも知れないのだ。

 それでもいい腹づもりがあり、その種の状況の時もこんなもんだと思えれば、あんたは本物だ。偉そうに言う資格は俺には無いが。

 人のため自分のための真のもの作りは、こういう場所から生まれると思っている。真の変革の契機も、ここにしか転がっていないような気がする。自分が自分の思いで選んだ、その場所にしか。