組織的人格

「(地震原発事故直後の)『あの阿鼻叫喚地獄では、スーパーマンでもなければ適切なことなどできなかったさ』と、半ば同情的な感想を述べる人が少しずつ出てきました。
こういう人たちは、まったくの世間知らずの、子供のような人たちです。もうどうにもなりません。

 私は、学者、政治家、官僚という人種が、どんな人間たちなのか知っています。特に多くの学者さんたちにお会いしてきました。
彼らの本性を一般の人たちより、ずっと知っているのです。

『彼らは、犯罪者であり、将来の大量殺人者たちです』。

このことを、しっかり認識しないと、あなたは殺されます。日本人は、あまりにも考えが甘すぎます。」



 以上は「カレイドスコープ」というブログの中の記述(引用御容赦)。

 この記述には、全く賛同する―というよりその通りと思う。俺自身の経験から。

 六十一年の人生で、俺はこの種の者達から何度も(正確には3回)、裸で巷に放り出された。それでもどうにか生きてこれたのは、この種のエリート(組織的人格)になりきれない者や民衆的感性の者達が、陰で支えてくれたからだった。

 権益を守る。自負を守る。このためには平然と冷酷になれるのが、この種の組織人だ。

 彼らが居座ることの出来る仕組みと精神構造。結局はそれにすり寄ってしまう民衆の精神構造(共同幻想、共同主観)。

 これを腹を据えて見据え、乗り越えるものを作らない限り、人は絶滅に向かう羊でしかない。幻想で着飾った無能な牧童達によって。