民主文学

 共産党の御用文学の話じゃない。本物の民主文学の話。

 前もどっかで書いた気がするが、坂口安吾太宰治織田作之助無頼派のことを、当時を知るある批評家は「真に民主的なエコール(流派)」と言った。

 その通りと俺も思う。商業宣伝でも、文壇・権威のとりなしでも、プロパガンダでも、けちなお仲間同士の集いでも無い。敗戦後の解き放たれた民衆の支持によって、時代の表層に躍り出た流派(一人ひとりの共鳴連帯)ということ。真に何かを生む一例。

 上辺の思惑、見栄体裁、目先の利害や損得打算を振り切った体当たりの文学。綺麗事の清貧でももち論ないそれは、あらゆる創造行為に通じると俺は思っている。

 この種の創造物は、外野席で囃し立てる大衆など当て込まない。よし俺もと、グラウンドに立つ者達との共鳴なのだ。

 芸術分野の創造。それは魂の活性化。そう俺は思っている。