偽善の終焉 ―昨日への付記―

 山折という宗教学者(旧体制のサラリーマン先生)の発想も小出(農民・弱者への偏執的感情移入)の発想も、行き着く所は「この戦争はみんなのもの」の一億火の玉や、「この戦争はみんなが悪かった」の一億総ざんげのたぐい。

 俺はクリスチャンじゃ無いが、キリスト教的には「みんなの罪を背負う者(というフィクション)にひれ伏せ」か、「誰も原罪=世の仕組み上、個人レベルでは責任の取りきれないもの―を背負っている。その上で一人ひとりわが道(自己決定・自己責任の世界)を行く」のかの違い。

 後者は頭を冷やせば、日常だれもが普通にやっていること、せざるを得ないこと。


(付記)

 小出は科学者としては真っ当だが、社会思想の方はどうにも。一芸秀でりゃすべて良しという訳じゃない。当たり前のこと。小出崇拝のたぐいがあるとすれば、東大出れば何でも賢い幻想と同んなじ。ちと娑婆で汗流せば、馬鹿でも分かるべ。


(付記の付記)

 東大出れば何でも賢い幻想は、重箱の隅つついて人を蹴落とす心理の裏返し。かつての土建屋宰相や小沢一郎なんかも、虚構のエリートとパ〜な市民合作のこの罠に。小沢がいいという話じゃ、もちろん無いが。