感想

以下は、福島から四国に避難しているという女性が書いたもの。引用御容赦。

(※以下引用)

1月12日付愛媛新聞「現論」で宗教学者山折哲雄氏が、瓦礫の広域処理が進まない現状を憂い、放置されたままの瓦礫が「絆」と云う漢字を前にして苦笑しているのではないかと感じていた。そんな時60歳以上の「福島原発行動隊」を組織して、個人の思想・信条・心情を越えて原発の収束作業に当たろうとしている。その理念と覚悟が人間の絆の礎とおっしゃっていました。

同じ日に2日遅れで届いた福島民報では、あの原発反対のバックボーンともいえる小出裕章先生が、「瓦礫は全国で引き受けて、トータルとして子供を守れ」と、もちろん政府は放射性物質を放出しないよう全国のごみ処理施設にフィルターを取り付けるなどの安全対策を取る必要がある。また福島の農作物は大人が食べよう(これは講演会の時にも60歳以上にはほとんど影響がないのでお願いしたいとおっしゃっていました)と呼びかけていました。

 (※以上引用)


 山折という人物は、事実に対し人が持つに至る視力[共同主観(集団的思い込み)に対置するものとして否応なく個の中に形成される]を、権威的一般論で塗り固めた情緒的連帯でうやむやにし、否定する典型的な講壇宗教学者(学校の先生)だろう。宗教改革に例えれば免罪符的旧教派。俸給を受け、許容範囲を心得て戦後民主主義を説いた、かつてはゴロゴロいた教養主義者の名残りという印象。

 
科挙学歴で職を得たマスゴミ達の教養(民衆への優越意識)は、今も例外無しにこのレベル。


 小出という人物は無防備というか、政治的に幼なすぎる。つまみ食い、いいとこ取り、体よく利用する政治やマスゴミに対して。


 「福島の農産物はわれわれ大人が食べるべきだと(私は)主張し、批判を受けています。でも消費者が拒否すれば、東北の農業は潰れます。…私への批判は新たに都市部で(原発反対)運動を始めた人に多いようです。…大切なことは、原子力を推進してきた社会を作った責任が自分にもあることを認識し、その責任をきちんと果たすことです。」

 俺はがれき受け入れ何が何でも反対派では無いが(どっちの根拠もいまだよく分からないのだ)、俺の買う田舎新聞に載ったこの小出の発言には、がっかりした。

 受け入れの情緒的流れ作りの低脳記者の作文じゃないとしたら、ケチな感情論を小出自身抱えているということ。

 (余計なひと言)

 田舎者の俺は長年の経験上、頭でっかち・人生ええとこ取りの都会人、首都圏人は大嫌いだ。でもこの手の味噌糞一緒は言わないよ。それこそ小出(か低脳記者)が表題にした「生き方問われる問題」だ。性根が。