おもしろいので引用 ―偽善の終焉・その2―
下記は荻原魚雷さんという著述家のブログ「文壇高円寺」の記述。
おもしろいので引用(ご容赦)。
(※以下引用)
……書くことは自己惑溺のモノローグではなく、他我とのダイアローグである。
(中略)
鮎川信夫は「詩を十年やめる」と宣言したことがある。詩をやめてみて、自分はかなり異様な人間だったことに気づく。
そして「他人がわかってくれなくても、どうでもいい、と思いつづけていたということになる。いつも一人になりたがっていたと言い換えてもいい」(「〈私〉性とは何か」/『疑似現実の神話はがし』思潮社)と述べる。
(中略)
《言葉というのは本当に難しい。どんなに言葉の技の利をつくし、贅をつくして表現しても、わからない人にはわからないし、かなりチャランポランに喋った言葉でも、そこから重要なヒントを掴んでくれる人もいる》(「〈私性〉とは何か」)
鮎川信夫は「他我とは、無数の読者の影である」という。無数の読者は、さまざまな考えの持ち主であり、すべての人を納得させることは、不可能といってもいい。逆にあまりにも他我を意識しすぎると、くどくなりすぎたり、不鮮明になったりする。
(中略)
他我にたいして鈍感にならずに、自己を貫徹させる強さを持つこと。
《文学者の世界は表現の世界なのだから、その単独者が自分をこの社会のなかでどう生かしていったか、どういう戦略、思想、美学で人生と相渉り闘ったかがわかれば誰にとっても参考になる、と思う。…》(「反核運動の真贋を問う」/『疑似現実の神話はがし』思潮社)
「単独者」という言葉は、鮎川信夫を読み解くための重要なキーワードである。
(※以上)
(付記)
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