「自我」と「他我」の関係 (孫引き的記述)

以下は、荻原魚雷さんのブログ「文壇高円寺」に記された鮎川信夫の言。表題も。

 図星なので孫引きした。


《…自己言及だから純文学がつまらないのでは、多分あるまい。(中略)文学者の自己言及がつまらないとすれば、そこに語るに値するような自己がないというだけのことである》(「文学停滞の底流」/『私の同時代』文藝春秋


 これは、どんな仕事においても言える。例えば他者を描くニュースやドキュメンタリーの場合も。

 人や事象を描くにも、描くだけの思考・思想と技量(自己を掘り下げて得るもの)が無ければ、他者を発見することは出来ない。

 共同幻想と出来合いの「他者」を積み重ねて、通り過ぎるだけだ。

 自然科学的発見なんかでも、案外言える気がする。人がやることは。