意志と市場

 自然エネルギーへの転換を言うドイツのドキュメンタリー映画を見た。

 ひとつ感じたのは、ドイツ人気質。

 印象に残ったのは、意志してやらないと何も生まれないというくだりだ。

 神の見えざる手からの転換とも言ってたような。

 見ていて、カール・マルクスを思い出した。

 ニーチェなんかも思い出す。なぜかヒトラーも。

 否定的に感じたわけじゃ全然無い。いろんな人物が生まれるということ。

 意志してやらねえと何んにも生まれない。その通りと俺も思っている。

 思想を日々の暮らしの感性から紡いだ西郷南洲(注)なんかも、同んなじことを言っていた。設け起こさないと何んにも始まらないと。

 
 神の見えざる手(市場的なもの)からの転換については、ひと言ある。

 これを否定しちまうと独善になる。意志イコール視野狭窄にも。

 市場は他人の別名だ。自分と違うものを食い、飲んだり歌ったり働いたりするところの。

 神だってそうさ、共和制の本質じゃ。一人ひとりが神(主体)なんだからね。

 市場と意志が全然矛盾するもんじゃ無いのは、この意味で当たり前。

 まともな市場は一人ひとりの意志(主体的な感性と意欲)があって初めて、真っ当に機能すると俺は思っている。相対主義、人の顔色を見るだけのクズ社会じゃ、機能はまともにゃ働かない。

 「エネルギーの自治」が映画の副題。自立は意志して可能という本来当たり前のお話が、この映画だと俺は思っている。

 気に入らねえのは、ストンと気持ちに落ちにくいとこ。観念的なもんが邪魔している。こっちの方がドイツ人気質かも。

 共感、共鳴は大事さ。説得、説教じゃなく。

 ほかはインターナショナル、世界人類共通のもんだべ。意志なるものの意味も含めて。



(注)『南洲遺訓』(岩波書店))を隅々まで読めば分かる。