単独者
何年か前、農業を始めた青年の家に行ったことがある。
廃屋を借りた部屋の壁に、ゲバラの写真が貼ってあった。かつての左翼や革命などとは無縁なはずの青年だった。
彼が接したらしい中南米人への思いや、憧れのたぐいだろう。そう思って忘れていたが、ユーチューブでたまたまゲバラの歌を聴いて思い出した。
聴きながら思った。彼の思いは的外れではないのだろうと。
ゲバラがかつての、そして今の若者を惹きつける理由。それは思想云々以前の彼の生き方にあるのだろう。
夢を追う単独者。それが虚像なのか実像なのかは知らないが、若者がそこに自己を投影する気持ちは分かる。
夢や理想は、単独者のみに許される。
魂・生き方の単独者。娑婆や家庭にあっても。
ゲバラもカストロも、国家としてのアメリカのリベラリズムの二枚舌は、身に染みて分かっていたろう。
(付記・ある映像の回顧)
革命を語るカストロの眼は、物作りへの熱中を言う町工場の親父の眼だった。子供のような顔の輝きも。
この種の者達とは、個の力量において対峙するべきなのだ。
腐り果てた宦官制度、糞くらえ。
共鳴共感、人は並立・人それぞれ、人は誰でも創造主の共和制へ。一人ひとりに根を置くインターナショナリズムへ。