心に寄り添わず、観念に寄り添う

 心に身体に寄り添わず、観念に寄り添う馬鹿達。俺の前から消えて無くなれ。

 この国は、観念の側に付く馬鹿で溢れ返っている。

 この種の屑達は、必然的に「強者」に付く。

 観念にり添う。それはそのまま体制(出来合い)に寄り添うのとイコールだからだ。創造主体たる生身の人間では無く。

 特権のケツしか追わぬ頭でっかちの親共に、百数十年来狂ったままの「教育」に仕込まれた馬鹿達。

 事物を、人をトータルに感じる身体を取り戻すこと―。ここから始めるしかねえ道遠き革命。

 だがしかし、これが出来ねえ限り、目先の損得打算のために空っぽの神を戴いたふりを装う東洋の一偏狭国として、衰退と自然消滅の一途をたどるだろう。ケチな暴発を繰り返しながら。



 共鳴共感、人は並立、人それぞれ、人は誰でも創造主の共和制へ。一人ひとりに根を置くインターナショナリズムへ。