正しい思想と民衆の反乱

以下は「低気温のエクスタシー」というサイトに掲載されていたもの(引用御容赦)。


(※以下引用)

反戦な家づくり
https://twitter.com/#!/sensouhantai/status/172491133530816512
日本の政治が橋下を中心にまわり始めている。どんなに危険だといっても、どんなに不条理だと説明しても、ある意味それを分かった上で熱狂しているから効果がない。 松本智津夫という変なオッサンが多数の信者を集めたのの、超拡大版。「理」の説得はもやは意味をなさないところまで来てしまっている


反戦な家づくり
https://twitter.com/#!/sensouhantai/status/172493104232931331
小沢氏本人を筆頭に、小沢Gの主だった人たちは橋下の本質を分かってはいるはず。だが、数の論理と選挙の人気に負けて小沢Gの多数が橋下に流れるようなことがあると、もう日本の国民は民主主義という枠内で生き延びていく術を失うことになる


▼「1999年以後 ─ ヒトラーだけに見えた恐怖の未来図」(祥伝社五島勉・著。1988年10月出版)に書かれている「ヒトラーの予言」▼

どうだ、わたしの言ったとおりだろう。選挙の極意とはこういうものだ。つまり大衆は限りなく愚かだ。大衆は女のように感情だけで動く。だから女をモノにするときのように、優しくしたり威圧したりすれば、大衆も政権も簡単にモノにできるのだ。

青少年も同様に愚かだ。彼らには車とオートバイと美しいスターと、音楽と流行と競争だけを与えてやればいいのだ。

それでシャンペンの空気を抜くように、かれらの頭から”考える力”を抜き取る。あとは車とスターと流行と音楽の力を借りて、ワッとけしかければ、彼らは武器を抱いて地獄の底へでも突っ込んで行くよ。

そのためにも、大衆や青少年には、真に必要なことを何も教えるな。必要がないバカのようなことだけを毎日毎日教えろ。それで競争させろ。笑わせろ。ものを考えられなくさせろ。真に必要なことは、大衆と青少年を操るものだけが知っていればいい。

そしてあとは、”国家のため!”と何千回も呼びかけて、戦わせ殺し合わせるのだ。1人の人間を殺せば殺人犯だが、戦争で100万人を1度に殺せば、その男は必ず国家から最高の勲章をもらえるぞ。

(※以上)


 ヒトラーの話の一部は、親父が話しているのを子供の頃聞いたことがある。

 大阪で働いた経験を言えば、かの地の人々は外からの批判は聞かないが、一緒に汗を流す者の話は聞く。ツボを得たところで。損得打算ばかりのように見えても。縦社会のこの国では稀ともいえる良さだったと、今も思う。

 大阪は心学的なものや陽明学的なものなど、人の本質(主体)に通じる要素を持つ思想は受け入れる素地が、今もある。思想自体、未熟でもいびつでも。

 民主や自由のような、思想としては的を得たものが受け入れられないとすれば、それは言う者の実体の方に問題があるのだろうと俺は思っている。

 言葉と実体のかい離。これは思想や宗教、哲学の無力の一番の原因だと感じる。

 これは、言葉は正しいが実体に嘘を抱えた親父を持った俺の、死ぬまで続く実践課題でもある。


(付記)

 蛇足だが、実践課題とは「正しい思想」に自分を当てはめるという話ではもちろん無い。主体としての自分、生きている自分をくみ取るということ。


 共鳴共感、人は並立、人それぞれ、人は誰でも創造主の共和制へ。一人ひとりに根を置くインターナショナリズムへ。