自分が生きる

 何んとしても生きる。

 自分を生きる。自分が生きる。

 腹の底にこれを置くことは大事だ。


 事実を言うことはあるが、人のせいにしない。言い訳しない。

 それは、自虐だのよい子になるだのの話じゃない。

 わが身に生かすということ。

 自分の馬鹿さも人の馬鹿さも、生き抜く中で乗り越える。生み出す中で乗り越える。

 これが真の意味の批判であり否定であり、創造だ。

 共和制の魂の本質だ。


(付記)

 左翼(批判勢力)は批評家でしかなかった。

 頭に、知識に支点を置く者達は、すべて批評家でしか無かった。

 体から力が湧かない。作れない。組織の中でしか飯が食えない。人と人の腹据えた付き合いが出来ない。肝心な時に逃げる。

 なぞる生き方しかできないからだ。既存のものを。


(付記2)

 どうせ同んなじ見せかけならば、生きるを見せかける方に人はなびく。

 かつての小泉に、石原や橋下程度の男にかき回される一番の理由はこれだと俺は思っている。