籠の鳥と共和制

 人の自立ということを少し真面目に考えれば、政治制度は共和制に行き着くしか無くなる。

 そのほかは、籠の鳥のカマトトに過ぎない。

 籠から出なけりゃエサやるよ。この暗黙の了解の中の籠の鳥。この国の組織人達は全部これで動く。

 根本的に何に忠誠かを感じれば、人の匂いのまるで無い国歌なるものを起立して歌う理由はどこにも無い。一応民主を標榜する現行法の枠内ですら。

 民主の根本は、読んで字のごとしなんだからね。法の上っ面の字句以前に。

 この本質をズバッとついてものを考えないと、いつまで経っても引かれ者の小唄で終わる。

 何度痛い目に遭わされても、結局は統治に擦り寄る。統治の側の言い分、やり口を前提に考えて「仕方ない」となる。

 そのシンボルは目下、放射能がれき処理。他にやり方はあるのにばら撒く。仕方ないからばら撒くという統治の方便に簡単に気持ちを重ね、仕方ないとなる。

 文句は言うが提案はしない。出来ない。

 根本的にあなた任せだから。脳みそ、生き方の構造が。

 ある一線は踏み越えない、カマトトの籠の鳥。

 自分が主体。この一言を言わなきゃエサがもらえる。人のため、神のためとしながら私益をむさぼることも出来る。

 この構造を変えない限り、何度でも同んなじことを繰り返す。

 維新なんてもんに騙されちゃ駄目だぜ。統治構造(人をどう支配するかの仕組み)。これを変えたいだけなんだからね。支配の側に身を置いて、あめ玉ばら撒いて。

 国や社会の根本はそんな所には無い。一人ひとりの人が土台。

 今じゃイロハのここを起点に、本気で組み立てなきゃ駄目さ。カマトト止めて。