自分の居場所 ―共和制への一里塚―

 自分をどこに置くか。

 自分自身の側か。共同主観、共同幻想、一般論の側か。

 後者の殻に覆われた自己を打ち破ることから、一つひとつの人生は始まる。腐った思い込みが、秩序とつるんで蔓延る社会では。

 家庭はいまだイエのまま。真っ当な私的空間(真の連帯へのワームホール)が無い社会においては、自分を置くべき所に置くことは、生涯を賭けた難事業になる。馬鹿ばかしいことだが。

 この馬鹿ばかしさは通り過ぎるしかない。どれだけ時間を費やしても。



 共鳴共感、人は並立、人はそれぞれ、人は誰でも創造主の共和制へ。一人ひとりに根を置くインターナショナリズムへ。



(付記)

 共同幻想の打破。突破口は直観だ。

 直観は真っ当な身体性=体がまともに機能すること、ここからじゃないと生まれない。

 汗を流して生きろ、自前の汗を。日々食いつなぐために。