自立の実践的拠点

 ある記事への感想のコメントを転記した。


「国権は民権と人権を実現するために行使される。それが民主主義である。
 国権のために民権や人権が制限されるなら、それはもはや民主主義ではない。」


 国家は国民のためのサービス機関というのが、民主社会なのだろうと思います。
 憎悪の革命をめざすものではありませんが、一人ひとりの良心に行き着く萌芽を持たない神を戴く幻想構造(支配としての国家の仕組み)は解体するしかないと思います。
 これが変わらない限り、社会や政策がグローバリズムに転ぼうが保護主義に転ぼうが、良心や弱者の側に位置する人々は永遠に泣きを見るような気がします。
 この種の幻想構造は原発事故後露骨に表れている通り、既得権者達の確信犯的作為・不作為や悪意(意図的悪宣伝)によって維持されています。
 変革は、彼らに対する期待(お人好し)を一切捨てたところから始まるように思います。人への期待を捨てる。それは冷酷とはむしろ逆なのであり、人ひとり生きること、自分が生きることの原点なのだろうと感じます。
 もし神を戴くならば、これを明示する神を戴くべきだと思う次第です。


(付記)

 さて、俺はどうする。総てはここから始まる。
 誰に対しても。