その通りでございます
虚構のマスゴミ、おめえがよく載せるぜという記事だが。
(※)以下引用
福島第1原発 「国民性が事故拡大」 英各紙、国会事故調報告に苦言
産経新聞 7月8日(日)7時55分配信
【ロンドン=内藤泰朗】東京電力福島第1原発事故の国会事故調査委員会が5日に最終報告書を提出したことについて、英各紙は日本文化に根ざした習慣や規則、権威に従順な日本人の国民性が事故を拡大させたとする点を強調し、「日本的な大惨事」に苦言を呈する報道が目立った。
ガーディアン紙は「フクシマの惨事の中心にあった日本文化の特徴」と題した記事で報告書の前文を引用し、島国の慣習や権威に責任を問わない姿勢が事故原因の一端にあるとする報告書の内容を伝えた。6日にも「文化の名の下に隠れるフクシマ・リポート」と題した記事で、「重大な報告書と文化を混同することは混乱したメッセージを世界に与える」と批判した。
一方、「非常に日本的な大惨事」との見出しで報じたタイムズ紙(6日付)も「過ちは日本が国全体で起こしたものではなく、個人が責任を負い、彼らの不作為が罰せられるべきものだ。集団で責任を負う文化では問題を乗り越えることはできない」とコメントした。
(※)以上
「苦言」? そんな生易しいもんかね。
これはガイコク人の眼では無い。
普通に真っ当に生きるこの国の民衆の、腹の中の本音だ。
まともに生きる者達の本音が万国どこでも変わらないのは、自由民権の昔から同んなじ。
それがいまだ、公然と表に出ない。表に出すと脇に追いやられる。追い落とされる。
そこに腐れ切ったこの国この社会の、百年二百年周回遅れの人民革命、民主革命の必要性と意義がある。
人は並立、人はそれぞれ、人は誰でも創造主の共和制へ。一人ひとりに根を置くインターナショナリズムへ。
(付記)
これは実に当たり前のスローガンだ。一つひとつの人間存在に、雑多(コミューン的社会)に根を置く共和制。
国家はこの国民のサービス機関。多様性に根ざした人間社会が、このサービス機関の唯一の存在根拠。
こいつが共和制の国家論だ。これですべてを組み立てればいい。教育、地方行政等々。
一つ言えるのは、人民社会からの上昇(エリート)なんて概念自体あり得なくなる。
卑近な例じゃ国営放送好み、御家大事の封建武士ドラマなんざ、誰も口を開けて見なくなる。
御用学者、御用文化人(左右含めた知識人なるもの)の存在根拠もあり得なくなる。