その通りでございます その3

sensouhantaiという人物のツイッターの引用(御容赦)。


「もともと日本では軍政を担う者と経済を担う者とでは違う価値観をもっていた。明治〜昭和の国民皆兵のために無理矢理武士の価値観を全国民に押しつけた。戦争の反省をちゃんとできなかった日本は、未だにその価値観を引きずっている。それが多くの人から「逃げて生きる」機会を奪っている」


 田舎の歴史をほじくってみると、この辺の事情がよく分かる。

 地べたで真っ当に生きた者達の感性と、「国家の中堅」養成に尻尾を振っておのぼりした者達の感覚。

 地方・地域で真っ当に働いている者達は、後者の感覚・価値観の虚構を見抜いてはいる。

 だが国家行政は言うに及ばず、地方行政や地方のボス、学校の先生(とりわけ退職後も天下り等で優遇される校長クラス)に至るまで、今でも後者の価値観を信奉・鼓吹する。

 その種の価値観は、この国の縦社会・統治の仕組みが生み出す損得打算と根深く結びついている。

 だから田舎の町内会レベルまで、役員たちは後ろに日の丸を貼り付ける。陳情で国家のおこぼれ、行政のおこぼれに預かることしかこの手の者達の頭の中には無い。

 「おかしいんじゃねえのか」。言っても賛同する者はいない。集まりが終わってから、ぼそぼそと「あんたは正しい」。後の祭りの「支援」者達。

 放射能話もそう、仕事話もそう。中央仕様・東京仕様の仕切りに表だって楯突く奴はいない。

 何度煮え湯飲まされてきたか。仕事を失くし、職安通いしたことか。この手の衝突をして。

 実際のとこ、おれがこの場で縦社会を批判しても、つまみ食いの読み手は潮が退くように遠ざかる。

 縦社会の張本人、それは東京もんのあんたなんだぜと個別具体的に言うと。

 お優しく一般論で言うと同調はする。「あんたは正しい」。

 糞くらえとはこのこと。教養人共寄り付くなとはこのこと。

 時々やるブログの大掃除。この手の「正義」の読者共を追い払うため。本当のことを言うだけだが。

 人間、腹の底から自分が変わらなきゃ、世の中だってよくなる訳はねえ。

 そんな気のねえ奴と関わり気は金輪際ねえ。

 でなけりゃあまりに馬鹿馬鹿しい。人生賭けてつかんだものが。



 共鳴共感、義理人情、人は並立、人はそれぞれの共和制へ。一人ひとりに根を置くインターナショナリズムへ。共同性・コミューンの魂の復活を。



(付記)

 再三言うが、文は読まれた方がいい。だからこうして書いている。

 だがだからといって、腐れ読者を増やす気は絶無だ。