追悼

 先日戦場で殺された女性記者は、当時は新聞社が運営していた朝日ニュースターという裏街道テレビの社員だったという。

 裏街道と言ったが、この種の場所には良さがあり、関わる者の心情心性を案外素直に出せることがある。

 朝日ニュースターにもそんな要素があった。十何年前だが、何かの番組の感想をファックスで送ったら、担当者が書いたらしい丁寧な手書きの返事を郵送でもらったことがある。

 一口にマスゴミと言うが、30ページ前後の紙面に大小雑多な記事が掲載できる新聞媒体には、色々な心情心性が残存できる余地がかつてはあった。仮に随分甘ったれたものだったとしても、そこには表街道(機構)に巣食う者達が絶対に表現しない、出来ないものが込められることがある。

 朝日ニュースターも当時は、そんな紙媒体の外れ組が運営する電波だったのだろう。当然経営は行き詰まり、それに起因する騒動の臭いが画面にも漂い、その後中身は急速に駄目になって行った。彼女が辞めたのもその頃だ。

 俺は当時このテレビを、加入していた有線テレビで見ていた。田舎新聞経営の有線テレビも、当初は色んなものを流していたが、既成電波媒体の圧力等々であれが消えこれが消えして中身が無くなり、ただの金食い虫になったので契約を打ち切った。

 契約を打ち切る時は、運営をいつの間にやら肩代わりした下請け会社の汚い手口に会い、解約に随分手間取った。契約をこれ以上減らすなという親会社の命令を、忠実に実行した結果だろう。

 組織が駄目になる時は、当然飛び出す者が出る。彼女も多分、その一人だったのだろう。

 辺境取材や戦場取材。表街道が手を出しにくいこの種の場所に、色んな者達が集まりやすいのはよく分かる。見栄体裁はったり、歪んだ上昇志向、一獲千金的センス…。この種の者達の方が多いんじゃないかと俺は思っている。

 彼女が、この種の心性と無縁だったかどうかは知らない。だがジャーナリズムというビジネス分野で辛うじて自己表現の場を得ようとしたら(自己表現と生活の糧をなんとか両立しようとしたら)、表街道の者達がしゃしゃり出にくいこの種の場所しか中々無いのもまた事実だ。

 彼女の足跡をたどる時、その人生は多分後者に比重を置いたものだったろうと俺は思っている。