こういう文には共鳴する

 忙しいのに仕事もせず、ぼけっとネットを見ていたら、こんな文に出くわした。

 こういう記述には共鳴する。


 以下「みどり企画のブログ」より(引用御容赦)。


「おいらは所謂団塊の世代よりもずっと後に生を受けており、先輩たちの受け取り方とは異質に、吉本(隆明)さんと相対していたと云えよう。最も尊敬すべきは、「思想」という代物が、舶来輸入品ではなくて確乎たる人間としての営みからのみ作り上げられるものだとして、吉本さんの思想的営為が受け入れられたということに他ならない。

思想することは生きることの同義であり、産経新聞論壇に代表されるお馬鹿な大衆保守主義や所謂戦後民主主義といった、出来合いの思潮的風潮をけち飛ばすくらいのパワーで、戦後の日本の思潮的一里塚を築き上げたのである。こんな営みを他の誰がなしえたといえよう。

晩年の吉本さんは、小沢一郎に入れ込んだり反原発を批判したりといった、おいらの考えとは異なる発言を発していたのであったが、たとえそれはなかろうぜ、といった言説に触れていても、吉本先生の思索のたまものだと受け取ることができたのである。」


 自分の思いや感性で記したもの。

 そうした文を読む時、見方や意見の違いは概ね上辺のものでしか無くなる。

 人は並立なのだ。