勝手に時代は変わっていくが
以下は、「Amazon」で販売する山崎ハコのアルバム『茜』(1981年)の「カスタマーレビュー」。(引用御容赦)
※以下引用(抜粋、一部句読点追加)
「…売れたから名曲なのではないということが、山崎ハコを聞いているとみにしみて解かる。…
人の心の奥底に必要なもの、流れているものを気づかされる気がする。
現代人が縁あってハコの歌に出会ったなら、衝撃を受けるでしょうね。もっと早く出会いたかったと・・・。
自分もそうだったから 。」
「山崎ハコが「飛びます」で鮮烈なデビューをして数年、まだ新宿の厚生年金会館を満員にできるほどの人気があった頃に出されたのが、この「茜」だ。…
このアルバムは決して失敗作ではなかった。しかし「ネクラ」という言葉が流行語になり、その代表として山崎ハコが取り上げられたりして、ハコは少しずつ時代から取り残されて行くようになる。…
…山崎ハコはすでにこの頃、自分が時代から取り残され始めていることを
感じていたのではないだろうか。B面4曲目の「さらば良き時代」(http://youtu.be/ouiMepxtG3I」)を聴くたびにそう思う。…」
※引用は以上
「売れたから名曲ではない」には共感する。
ハコを取り残していった「時代」。それが一体なんぼのもんだったのかは、今になれば分かる人々は多い気がする。当時より。
「人の奥底に必要なもの、流れているものを気づかされる」。
時代を越えてと言うが、人の本質は変わらない。いつの時代も。
それを歌ったのがハコだった。
自分自身に、流されずに留まる。それがしんどいのは、いつの時代も変わらない。
それはするしかないのだ。どんなにきつさがあっても。
人間の真っ当な継承のために。
共鳴共感、義理人情、人は並立、人はそれぞれ、人は誰でも造物主の共和制へ。一人ひとりに根を置くインターナショナリズムへ。