人情とインターナショナリズムと共和制 ―西郷南洲的普遍―
西郷南洲の優れた点は、自分の経験と感性、暮らしの実践の中から人や社会の真実を探り当てたところにある。
若い頃島流しにされ塾のアルバイトをしていた時、一人の優等生的な子が家族和合の秘訣を「それは儒学の教えの五倫五常の道を守ることにあります」と答えたのに対して、「いやいやそれは建前に過ぎない。大事なのは一つのうまいものがあれば皆で分け合い、兄姉は弟妹をかばって暮らす。そうすれば一家和合はおのずと得られる」。こう言ったとされるところに、西郷の「活字では無い、活学問を学べ」がよく表れている。子沢山の一家の中、西郷は長兄としてそれを実践した。
俺は若い頃、そういう西郷を尊敬していたが、ある時やめた。「自分の中にも同んなじものがある。他人を鏡にする話じゃない」。そう思ったからだ。
自分の心に深井戸を掘り、人の真実をそこから汲み取る。胸に手を当て振り返るということ。わが身を。
田舎に戻って長年暮らし、とりわけ農家の人々と関わって良かったのは、彼らの多くはその種の感性と実践を案外普通に持ち合わせているという点だ。
俺も嫁さんも農民家庭の出。肌合いが合うということもあったのだろう。告白すれば俺の家は、商業主義と明治由来の上昇志向(社会の仕組みを実体と見てそこを駆け上る意識)に汚染された「先進地」の農民だった。
思えば三十ニ年前、落ちこぼれの脱落者として田舎に戻った俺と家族は、この種の感性にずい分救われた。暮らしの節々で。黙って相手を受け止め、時に一肌脱いでくれる人々は、毎度必ずこの種の人々だった。
政治の話になるが、小沢一郎や亀井静香などは、この種の感性に根を置いた者達なのだろうと思っている。今ある暮らしを守るという意味の生活保守の政治家達。
その根底が人情というのは良く分かる。インテリ向けに翻訳すれば、人の暮らしへの共感。
亀井がゲバラを尊敬するというのも、その辺で理解できる。この種の感性は世界のどこにも普通に存在する。人を愛し、子を産み育て死んでいく当たり前の人の暮らし。これへの共鳴。
国という枠組みの中で、人と暮らしをまとめるに忙しい彼ら政治家は決して口にしないが、これは俺の仕事。国際主義の提起は。
その根拠はこの種の共感。西郷を含め古今東西普遍に存在する、暮らしの感性に根ざした人情。
蛇足だが、なぜ俺は共和制を言うのか。
何かを手本にするような社会的仕組み(虚構)は、絶対に持たない方が良い。人倫の根源を明示するために。それは民主の根源とイコールなのだ。