秩序の中にちんまりと収まったこの国の知性
この国の知性は、それ自体がすでに秩序の中に組み込まれている。
秩序の中の御墨付きの知性。封建朱子学以来のこの国の伝統。
それを捨て去る時から自分の真の言葉が、思考が始まる。
インテリを気取るマスゴミ(官製の資格試験を通り抜けただけの宦官達)と一線を画せるかどうかも、ここにある。
どこかの党首よ。そんなもんに合わせて仲間を貶めているようじゃ駄目だぜ。出来合いのイメージや観念に迎合、または振り回されていたんじゃ。
批判を怖れるお利口な自分。こいつを壊すことは特権、既得権社会の変革とイコール。
こいつに気付かないうちは真に人の心に飛び込むものは無く、観念がこね上げた正義の言葉だけがいたずらに踊る左翼や市民運動と何も変わらない。
腐った社会の基底を変える。それは、それに照応して生きてきた自分の心の基底を変えることでもあるのだ。
これが無い限り、どんな変革も似非で終わる。
人間そのものが変わらなければ。