「お天道さんが見ている」

 「お天道さんが見ている。」

 これが小沢の信条とか。

 西郷隆盛が好んだ「敬天愛人」と同質だろう。

 天は見ている。人は見ていなくても。

 これは例えば、日の出とともに、誰に言われなくても野に立つ農民の心性と言っていい。

 農家の人々と関わると、この種の感覚が今もある。

 人間の本質はこんなもんだろうと思う。どこにおいても、誰においても。

 自律。これが自立の基礎なのだ。

 これを育てる。または回復させる。後天的なものとしての自意識(人や社会との摩擦によって生じる意識)に汚染されていたならば。

 西郷にも小沢にも一つ注文があるとすれば、自分の外に偶像的に置かない方がいいということ。天を。

 天道は天地自然の法則。

 誰の内にも内在する。人そのものが天地自然の子なのだ。個体発生は系統発生を繰り返す、などど言わなくても。

 自分自身を感じろ。深く深く。特定の人物や立場に投影せずに。

 そうすれば、人はどこか客体の「敬天愛人」は越えられる。


(付記)

 西郷は気付いてはいたろう。多分小沢も。だが、これ以上他人に寄り添う気は無い。俺自身の課題なのだ。