「自分の言語というものは、自分の中から出てきた、あるいは自分の意識しない……言葉が存在しないようなところから出てきている」。(先日引用の三島由紀夫の言葉)。
これって当たり前だよな。
だがバルバロイ(文化外の野蛮人)を怖れ、軽蔑していた三島に、これを言う資格はあったんかいな。
東京人には悪いが、東京人は冗談(価値や観念を無化するやりとり。ぶっちゃけて言えばあほ話)が通じないというのが、今に至る俺の実感だ。
三島の精神構造は知的東京人の典型だった気がする。
意識の地べたが自前の人生では無い、一般化されたもので成り立っている感じだ。