何を想定して書くか
何を、誰を想定して書くか?
結論を言えば自分の中の他人を、社会的な自己を想定して―ということになる。
なぜそんな作業が必要になるのか?
自分を見つめ直して先に進むため。こんなところだろうと思う。
ツイッターってやつは、そのためにはいい場所なのだが、あまりにも他人が近すぎる。想定する他者が。
このため要らぬ反発や横槍が入る。
これに耐えて進んだ方が自分にも、その場は反発する他人にも多分いいのだろうと思うが、難儀なことだ。
眺めるだけにしようと思う。しばらく。
飯食う世界、娑婆の世界のエネルギーも必要だ。というか、これに響いたんじゃ何もかもお釈迦。当たり前だが。
それにしても、書くというのは悪いことでは無い。虚構虚妄に依拠するのでなければ。