(3)「やりゃできる」(初出 07.7.18)
田舎の高校の本を作った時。
その頃もう70幾つの、元教員の親父と話した。
戦時下、東京の麻布中から疎開で転校して来たという親父は、そのままここを卒業し、教員になってからはこの母校で進路指導を担当したことがあったとか。
「今の若い教員は、偏差値表と見比べて、ああでもないこうでもない。そんな細けえこと言わねえで、そうか、やってみろでいいんです。その気の奴にゃ」。
この親父は馬鹿じゃねえなと思った。そういうもんだと思うからだ。
但し生徒の親が馬鹿ならば、生徒自体が馬鹿ならば、結果次第じゃ総スカンということもあったはず。そのくらい承知でやってたんだろう。
親父の息子は、8年かけて京大出たとか。学生運動やってたと。「田舎のちっちゃな商社で、貿易とかで飯食ってます」。
今じゃ田舎もんの親父にしてみりゃ、寂しさもあって言うのだろう。だがそれも多分、この親父にしての話なのだ。
やりゃできる。その結果は、思うようにならねえことはある。
だが、大抵はやっぱりできてるのだ。本当にやってりゃ。見た目と別の所で。そいつは親父の血が気付いてるはずだ。