(4) 歌の危うさ、面白さ (初出 8/04/2007)
生家には昔、色んなレコードがあった。
投げるとフリスビーのように飛び、地面に落ちると粉砕するSP盤・78回転のやつだ。
中身は色々だった。戦前・戦時下に売り出された軍歌、流行歌、民謡。発禁だったに決まってる地下共産党の歌も混じってた。昔の田舎の家なんて、ごった煮みたいなもんだ。
♪夜でも昼でも牢屋は暗い 騒ぐ(?)と鬼めがあ〜〜 窓から覗く
♪俺達の隊伍は突き進む プロレタリアの鉄の…
こんな歌も軍歌も流行歌も、皆一緒に聴いて歌った。
好みで言えば、怨念のこもるたぐいの左翼歌はしんどかった。軍歌も、表舞台で晴れ晴れと風なのはイマイチで、兵隊の気持ちを歌ったものの方が良かった。
♪傷付いたこの馬と 飲まず食わずの日も三日…
♪行けど進めど麦また麦の 荒れた戦野は夜の雨…
歌なんて、右も左も流行歌も、お抱えの作詞家作曲家が、命令・依頼に合わせてそれっぽく作るもんだろう。
気持ちに残る歌というのは、作詞家や作曲家にそのものの体験は無くても、類似の経験や心情になぞらえて、割と素直に作ったものに多い気がする。
それは多分、聴く側も同じだ。小学生のガキでも、それなりに孤独な思いや心情は持ち合わせている。そこに引っかかったものが、気持ちの中に残るんだろう。
その頃はなぜか学生歌、労働歌、ロシア民謡なんかもよく歌った。わりと歳の離れた姉などが、ちょっぴり前の世代の抒情を持ち込んだせいだろう。
この種のものは、俺のその後の意識に影響したように思う。
不思議なことに、その種の意識の部分は突き放した今も、受容した心情だけはほとんどそのまま残っている。
心情なんて駄目だぜと、昔言われた気がする。経験できねえ他人のことなぞ、分かる訳ねえだろとも。言ったのは、どっちも首都圏のインテリだった。
そりゃそうだがね…。当時の俺は、その先言いようがなかった。
他人がうまいもん食っても、こっちが満腹するわきゃない。その意味で、奴らの言はその通りだ。この種のことは、貧乏すればとりわけ身に染みる。「みんな一緒、お仲間」な訳ねえだろ。糞ったれと。
まして他の時代の人間や、他の国の奴らの気持ちなんてもんは…。
だが歌という奴は不思議だ。作詞した本人も直接経験しなかったはずのものが、聴く側にはまるで無縁の環境下の抒情が、なぜか根を張り心に残る。
少し前、敗戦後の左翼をこき下ろすもの書きの婆さんが言ってた。「外国の歌ばかり歌ってるから、ロクな人生作れなかった」と。
半分当たってるけど、半分当たってねえな―、というより、基本的に全然当たってねえなと思う。
だったら右からでも何でもいいから、ガキの気持ちとらえる歌作りゃ良かったじゃねえか。それだけじゃねえかと。
「右」はやっぱり空っぽだった。人の暮らしの心情という意味で。そういうことだったと思っている。