(4)母さんの歌(初出 08/03/2007)
母さんが夜なべをして 手袋編んでくれた
木枯らし吹いちゃ 冷たかろうと…
この歌は、昔の歌声運動とかの中から生まれた歌だ。
どこかロシア民謡風なのも、そのせいだろう。
作ったのは、左翼運動に身を投じた青年とか。
戦時下の疎開の記憶をもとに、自分の母親を思い作ったという。
孫請けのテレビ番組作りの頃、作者がイメージしたという山村の田舎に行って、小学校の子供達に歌ってもらったことがある。
歌い継いでるというので、それじゃあと出かけたのだ。
その地はイメージであって、歌の中身とイコールじゃないらしいが、子供達は地元の歌として歌ってくれた。
俺は、著名になったものに飛び付く田舎は大嫌いだ。はた目に評判のいい風光明媚、歴史的・文化的と言われる田舎ほどこの手合いが多いのは、戻って気付いた事実だ。
この時は、割と素直に歌声を聴いた。歌ができた背景はどこまで伝わってるんかなあ…、などと勝手に思いつつ。
割合素直に聴けたのは、何度か行ったこの土地に、それほど悪い感じが無かったからだろう。
そこはどこにもある、無名・無銘の田舎だった。歌のイメージの母ちゃんも、ばあちゃん達も確かにいるわな…。
宣伝下手。おらんとこは何もねえから…。そう恥ずかしそうに言う田舎。そんなとこほど良さはある。
そういうところは大抵貧乏だ。貧乏だからいいわけじゃないが、なぜか大抵そうなる。自意識なるものの薄い田舎、人が景色に溶け込む田舎。それは、たまたま稼ぎ下手ということだろう。
そういうとこほど働き者が多いのも、また事実だ。なんだかんだ言っても、黙々働く暮らしの心性が人の基本と思えればの話だが。
人は、どこまで行ってもこの延長じゃなきゃ駄目というのは、俺の人生の感慨だ。知識は大事、人が自分をどう見るかの自意識などが身に付くのもしょうがない。でもどこまで行っても、自分は「こっちの側」にいなけりゃ。田舎が人の原点と言うなら、それが田舎だ。過去を軽蔑する奴が嫌いなのも、このせいだ。
行った小学校は、もう廃校になったとか。二十年も昔の話なのだ。俺にしても、孫請け仕事を追っ払われて十数年。思い出したくもねえ仕事の中の、少しは日の照る記憶の個所だ。
放送という、田舎腐らす植民地。こいつは、はっきりさせとく必要がある。嘘のリベラル、お体裁の民主とイコールだからだ。組織とヒトの話だが。その手は他にも幾らもあるが。