安倍は保守じゃなかった
安倍は保守じゃなかった。
俺の感じでは、ほんまもんの戦後の保守は地べたの臭いがした。
地の子、街の子、泥んこの子。嗅覚と皮膚感覚でのし上がる、太え野郎ども。
土建屋宰相と言われた雪国の親父なんか、典型だった。
孫は、敬愛する祖父さん同様、人工の明治が作り出した近代の子だ。
祖父さんは、日露戦争期のウルトラ国家主義が尾を引く旧制中学に学び、エリート養成の知のピラミッドを上り詰めた。
人工の明治のシンボル=知のピラミッド。それはブルジョワ、プチブルの東京人が今、水のごとく受け入れる偏差値教育の直系の始祖だ。現代では、私立の方が色濃く受け継いでるんじゃないのか。知的上昇志向、社会的上昇志向。出来合いの仕組みの中を。甘っとろい孫の母校も、例外じゃなかろう。
その昔、人工には見せかけの自然が要った。それが「教育勅語」なる代物だ。地べたから生え上がったものじゃない人工の知の内側に、否応なく生じる空虚を埋め合わせるために。こいつは成立過程から、計算ずくの代物だった。国家手製の人工的近代の虚塔と、苔むした自然装う虚塔。それが明治国家のツインタワーだった。
本人はぶっ倒れ、身をもって告白した。心の空虚を埋めてくれる信心の虚塔が一番必要なのは、実はボクだと。正直者の人工の坊ちゃん。
だがしかし、この手の人工と上げ底がはびこる今、孫なる男を笑える者が果たして何人いるのか。
市民、プチブル、知者達。左の系譜の者達を含めて皆、係累にしか俺には見えない。人工の近代の落とし子達。
土建屋親父は生身の力で追われるべきだったと、今も思う。陰湿姑息な、人工の丘の上からの石つぶてじゃなく。
地べたの臭いの者達は、今や絶滅危惧種。
坊ちゃん首相の置き土産の「伝統」教育が、自然を装いまたぞろはびこる環境だけは整った。
したたかな地べたの臭いを、体感を回復するしかない。右だろうが左だろうが。
暮らしにとっちゃ、そいつが大事だ。