総てを生み出す源の、母なる海は自分の中にある。

 これは、二十歳の頃に予感していた。



 だが駄目だった。言葉が観念が見栄が体裁が、植え付けられた意識が邪魔した。自分の持続を。

 出来合いの檻の中でばたつくだけの、烏合の一人に過ぎなかった。



 沈黙に根を置く。何かに乗った沈黙じゃない、自分に根ざした沈黙に。

 生きてるのは自分だ。こいつを切実に感じれば、知識も教養も偏差値も、禅寺修行も無しに分かること。娑婆で真っ当に生きるとは、そういうものだ。これは古来変らない。



 学生の頃、吉本隆明という男にひかれたのも、そこだろう。理論的書物じゃない、雑文の方に。


 彼の良さは、大事なものは日常の中にころがってると言い続けたことだ。感性自体そうだった。彼が親鸞にひかれたのは、よく分かる。



 知識も教養も、うやうやしさを装って神棚から取り出すものじゃない。


 アカデミズムへの反発などと言われたが、当たり前のことを言ってただけだ。かつては天竺・漢国の、今は西欧・アメリカの知の植民地。その体質が利権屋共をそうさせてるだけだ。右も左も。



 最良の、というよりも、もともと当たり前のインテリ・知識人。そんなところが親鸞であり、吉本だったろう。


 生身の大衆の姿を、大衆の原像を知に繰り込む。

 それは吉本が、あの時代の良き知性だったのを象徴する言葉だと、今も思う。



 歳食って身に沁みるのは、それを本当にやり抜くには、自分が大衆になり切らなきゃ無理ということだ。

 でなけりゃ最良ではあっても、やっぱり黄門様の域を出ない。

 子供と遊ぶ良寛さん。よき寺子屋の先生。この辺だってそうだろう。

 普通に娑婆で働いて、飯を食う。自分に根を置いて。当たり前といえば、実に当たり前な話だが。




 吉本の言う大衆に、大衆の原像になり切る。それは作る自分になり切ることじゃないかとは、経験的に感じたところだ。俺の場合だが。体から絞り出す創作者、職人といってもいい。これはカメラマン時代にめざしてなり切れず、映像・記述の孫請け時代、あるいっ時は到達できたように思う。不完全にしても。


 それともう一つ、子供を育てなきゃ分からなかった。嫁さんと散々やり合わなきゃ分らなかった。これも俺の場合だが。子達や嫁さんにゃ、いい迷惑だった。




 母なる海は自分の中にある。

 こいつはうかうかすると、すぐに消え去る感覚だ。

 持続のための汗は、やはり必要だ。自分なりの。