別に沖縄に仲間がいるわけじゃない。仲間という名のタレントの話だ。


 へえ、沖縄からこんな奴も出るようになったんか。


 俺をそう思わせてくれた女だ。


 四、五年前だったか。皆様の国営放送で、永六輔という男が歌番組らしきものの司会をしていた。その時のアシスタントか共同司会かが、仲間だった。


 番組の中で永は、何かの話で皇太子のことを、そのまま皇太子と呼んだ。「社長を社長様というのがヘンなように、皇太子を皇太子様というのはヘンだ。地位への敬意は役職名・称号の中に入ってる」。この辺の考えだったんだろう。従順な女や田舎もん相手に説教垂れたがる東京人の永は、鼻に付く所はあるが、戦争・国家に痛い目に遭わされた戦後人間の真っ当さは、持ち合わせている。そんな意識がうずくのだろう。


 確か何度目かに「皇太子」と口にしたすぐあと、聞き役の仲間が永の顔を覗き込み、「皇太子…様?」とわざわざ間を置いて聞き返した。嫌味な女だなと、見ている俺は思った。駆け出しタレントの姉ちゃんにこの手の芸が出来るのは、永に関して、事前に何か言い含められてたんだろうなとも。


その場は何事もなく流れたが、次のシーンで総合司会(仕切り屋)のミヤモト・リュウジと言ったか、50前後のあばた面の局アナが画面に出て、アワ食った様子で「皇太子様」と二度ぐらい繰り返した。生放送だったんだな。


 腹に据えかねたのだろう。番組の終わりで永は、10名ほどの登場者に記念にと、だれかの描いた絵を配った。リベラルな時代の雰囲気を持つ、何かの下絵だったように思う。この時彼は「あなたにはあげない」とわざわざ言って、仲間を仲間はずれにした。番組終わりの数秒間の、画面がロングショットになる中のやり取りだった。テレビ慣れした男のささやかな、公然たる反撃だった。


 その後仲間は、国営放送恒例の年末番組の司会者になった。永はといえば、たまたま聴いた浅田飴(だったかな)提供のラジオ番組で、やけに「さま」を強調して皇太子の話をしていた。トラウマになったんだろう、多分色々あって。



 俺は昔から、沖縄出身の者達には好印象があった。それは小学生の頃からだった。小五の時だったか、その頃の「外地」留学で隣のクラスに来た沖縄の先生は、上にペコペコ餓鬼には威圧の俺のクラスの教師と違い、朴訥で物静かな人だった。とっかえてくれねえかな―。そう思ったものだ。朴訥さも、上昇志向とひがみを隠す東北人のそれではなく、根っからのものというのが、その後も出会った者達の印象だった。


 ある高校の歴史をまとめた時のこと。二十何年か前の資料の中から、この田舎の学校まで日章旗を届けてくれた人物の話が出てきた。それは戦時下、戦死した教師がニューギニアかどこかへ持って行った、教え子達の寄せ書き入りの旗だった。オーストラリアの古物店とかで見つけ、わざわざ自分で調べて持ってきてくれたのだ。商社勤めか何かのその人物は、沖縄出身の男だった。


この頃の芸能・スポーツなどの、一獲千金系の者達(なぜか皆女だね)を見ると、沖縄も変ったんかなと思う。変っちゃいけないわけもなく、金稼いでいけないわけも、もち論ないけど。
 
 「(仲間は)故郷である沖縄に対する思い入れが大変強く、『沖縄県琉球王国にしてくれる人と結婚したい』と…日記に書いたほど」(Wikipedia)。

 ソロバンずくの一件を深〜く反省したんだろう、きっと。