新たな階級社会が出来始めてるんじゃねえかな…。



 これは俺の二十代の頃からの感じだった。

 怒りが薄れる。規則人間が増える。人間の面白さが分からねえで、どぎつさだけまかり通る。冷笑する。批評して済ます…。その頃も、数え上げりゃきりが無かった。


 この三十年、この手の傾向は進行しても、後退することはなかった。こいつははっきりしてる。

 資本と現業の切り離し、組織と非組織のどうしようもねえ乖離(ソシキ人と腹割って関わるなんて、俺自身あり得ねえ)…。社会構造は確実にその方向に向かってるんだろう。



 この傾向を心理の側から例えれば、魂の劣化と言うんだろう。

 劣化というのはいい言葉だ。ゴムが古びて弾力無くし、ボロボロになるのを劣化というが、まるでこいつと一緒だ。



 社会が滅びるのは、たいてい直接バルバロイの攻撃によるが、内部的にゃ、魂の劣化による自滅と言っていいんじゃねえのか。ローマなんかそうだったんだろう。劣化し、刺激に鈍くなる。Coloseeumなんてどぎついものが出始める。


 バルバロイにやられる方が、まだマシかも知れねえな。目が醒めるチャンスはある。宦官はびこる貴族社会への関東武士団の侵攻、西国外様の下級武士達の情念の半革命、憎悪・ひがみ・上昇志向ごちゃまぜの左翼共の革命…。


 この手のバルバロイが消え失せた社会は、多分惨めだぜ。あるのは、ぼけっと自滅待つしかねえ分別臭せえじじいの群れか、魂にすがらずソシキにすがる去勢の若年寄共の群れ。


 閉鎖の江戸社会に、そいつの壊し屋達の心理に、陽明学が宿ったのはよく分かる。人間の主体性の学。


 誤解しちゃいけねえ。こんなもん持ち上げちゃいねえぜ。学なんてもんは全部が全部、良くて触媒、ヒント程度のもの。真理の泉、魂の根拠は、そんなとこには絶対にねえ。


 何を措いても大事なのは、自分の胸に、腹に聞くことだ。親がその手の性根で生きてりゃ、子はそう苦労しねえで済むんだが。