民主のメディア
何だかんだ言っても、インターネットは民主のメディア。
昔人は、言いてえことも言えねえで死んでった。
戦争末期、三十半ば過ぎて赤紙舞い込み、男泣きに泣いて出征してった山里の親父。
そいつは戻っちゃこなかった。
どこで骨になったか知らねえが、言いてえことは山ほどあったろう。
男と一緒に駆け落ちして、ストリップ小屋経営。
やくざに追われた女かくまい、男の新規の事業資金作り。日陰のままに暮らした婆さん。
「面白かったねえ、あの頃は…」
そう言い、遠くを見つめてた。心に何があったのか。
嫁さんの母だってそうだった。
苦労重ね、寝たきり暮らし十年余。
愚痴さえ言わずに死んでった。
俺にしたところで、腹立ち紛れに書きためたノートや紙は、手狭な家でいつの間にやら霧散。
俺でもねえ「俺」売り込んで、すり寄り、ゴマすり、書く、しゃべる。
そんなバカする気なんざ毛頭ねえが、残しもせずにおさらばか。
そう思ってたとこへインターネット。
そんなもん、宇宙に米粒ばら撒くようなもの。
読ませたい奴にゃ行き着かず、その場しのぎの暇つぶし。書き手も読み手も。
それでもこいつは真っ当だ。
何も言わず、何も言えず死んでった時代と比べりゃ。
読まれることなく黄ばんで霧散の、殴り書きと比べりゃ。
読む奴が、一人でもいりゃ十分。
いなくたって十分。
やり方次第じゃ、紙よりゃ保存も利くだろう。
本当は、ぶつかりながら作るのが真っ当。人と。
そんな奴はいやしねえ。水割り、お湯割り、薄まるだけ。
不完全でもやるだけだ。一人で。ひとり言で。