■
断るまでもねえが定義ったって、俺はそうだと言うだけ。ひとり言。
近代文学を自意識のドラマとか言うやつがいるが、ほんまもんの糞とはこういうのを言う。
自意識ってのははっきり言って、人に見られてる自分を意識するってことだろ。
人がどう見るかっての感じるのは必要さ。だけどそれだけ。
こんなもん真ん中に置いちまったら、奴隷文学じゃねえか。毛唐共の。
近代ってのは、毛唐製だからね。
東京が糞なのは、東京が垂れ流す「意識」が糞なのは、全部奴隷の性根だから。文学も思想とやらも。もちろん流行・ファッションのたぐいも。
奴隷の先進性。
田舎でぼ〜っと生きてきた奴にゃ、田舎じゃなくたって賢さなんぞに憧れずにぼ〜っと生きた奴にゃ、嫌でも判るぜ。先進気取りの奴隷の性根。
人に見られてる自分ってなんだい?
ああ人はそう見てるんだなって、ぼ〜っと感じる自分ってことだろ。
見られてる自分じゃねえだろ。
ぼ〜っとしてるから定義付けのたぐいは下手糞。説明は下手糞。でも俺は俺。
それが自分って奴じゃねえのかい? 無意識の大海腹に抱えた―。
出たがりのコメンテーター。得意技は即答性。
こいつが東京って奴だ。奴隷の性根の即答性。
こいつがニッポン人って奴だ。ご主人様に仕える奴隷の賢さ―。
嫌でも営々積み重ねた無意識。こいつ捨てて、下司の嗅覚だけで即答。それがテレビだべ? そいつに染まったニンゲンだべ? 飼育の果てのカシコさだべ?
革命って奴は、この檻ぶち壊すことじゃねえのかい?
奴隷の檻を。檻に居座る豚共を。飼い馴らされた糞根性を。
革命が自己否定と裏表ってのは、こういうことさ。
返す刀で糞の自分叩き出す。こういうことさ。
孤独の中で、へばり付いた無意識の海でほんまもん感じる。ほんまもんの自分感じる。こういうことさ。
発見も発明も物作りも、こういうことさ。自分に取り付く無意識の海で、否応無しに背負っちまった宿命の海で、自分なりの摂理見つける。
こいつに素直になることだ。はた目にゃ奴隷に見えるけど、最も奴隷と縁遠い。それがこいつさ。
鈍臭くても自前の世界作ること。自前の言葉作ること。
断っとくがケチなナショナリズムのたぐいとも、最も縁遠いのがこいつだぜ。
無意識は、普遍の海に通じてるんだぜ。嫌も応もなく。
そいつが類って奴だ。類的存在って奴だ。マルクスに根付いてた―。
個別だが普遍。個別に徹してつかみ取る普遍。こいつが発明だ。発見だ。物作りだ。革命だ。