断るまでもねえが定義ったって、俺はそうだと言うだけ。ひとり言。


 近代文学を自意識のドラマとか言うやつがいるが、ほんまもんの糞とはこういうのを言う。


 自意識ってのははっきり言って、人に見られてる自分を意識するってことだろ。

 人がどう見るかっての感じるのは必要さ。だけどそれだけ。

 こんなもん真ん中に置いちまったら、奴隷文学じゃねえか。毛唐共の。

 近代ってのは、毛唐製だからね。



 東京が糞なのは、東京が垂れ流す「意識」が糞なのは、全部奴隷の性根だから。文学も思想とやらも。もちろん流行・ファッションのたぐいも。


 奴隷の先進性。


 田舎でぼ〜っと生きてきた奴にゃ、田舎じゃなくたって賢さなんぞに憧れずにぼ〜っと生きた奴にゃ、嫌でも判るぜ。先進気取りの奴隷の性根。



 人に見られてる自分ってなんだい?

 ああ人はそう見てるんだなって、ぼ〜っと感じる自分ってことだろ。

 見られてる自分じゃねえだろ。



 ぼ〜っとしてるから定義付けのたぐいは下手糞。説明は下手糞。でも俺は俺。

 それが自分って奴じゃねえのかい? 無意識の大海腹に抱えた―。


 出たがりのコメンテーター。得意技は即答性。
 こいつが東京って奴だ。奴隷の性根の即答性。

 こいつがニッポン人って奴だ。ご主人様に仕える奴隷の賢さ―。


 嫌でも営々積み重ねた無意識。こいつ捨てて、下司の嗅覚だけで即答。それがテレビだべ? そいつに染まったニンゲンだべ? 飼育の果てのカシコさだべ?



 革命って奴は、この檻ぶち壊すことじゃねえのかい?

 奴隷の檻を。檻に居座る豚共を。飼い馴らされた糞根性を。

 革命が自己否定と裏表ってのは、こういうことさ。

 返す刀で糞の自分叩き出す。こういうことさ。

 孤独の中で、へばり付いた無意識の海でほんまもん感じる。ほんまもんの自分感じる。こういうことさ。


 発見も発明も物作りも、こういうことさ。自分に取り付く無意識の海で、否応無しに背負っちまった宿命の海で、自分なりの摂理見つける。


 こいつに素直になることだ。はた目にゃ奴隷に見えるけど、最も奴隷と縁遠い。それがこいつさ。


 鈍臭くても自前の世界作ること。自前の言葉作ること。

 断っとくがケチなナショナリズムのたぐいとも、最も縁遠いのがこいつだぜ。

 無意識は、普遍の海に通じてるんだぜ。嫌も応もなく。


 
 そいつが類って奴だ。類的存在って奴だ。マルクスに根付いてた―。

 個別だが普遍。個別に徹してつかみ取る普遍。こいつが発明だ。発見だ。物作りだ。革命だ。